高野山中心部(概略)


高野山のへそは、千手院橋の交差点です。高野山駅から来たバスは、千手院橋から西の大門に向かうルートと、東の奥の院に向かうルートに分かれます。

商店や飲食店、宿坊もこの辺りに集中しています。

高野山西部の地図- 高野山名所図会



金剛峯寺

「金剛峯寺(こんごうぶじ)」とは、もともとは高野山全体の寺号でしたが、明治時代の神仏分離に伴う再編で、高野山真言宗の総本山である寺院の名称となりました。

金剛峯寺の写真- 高野山名所図会



現在も高野山の土地は金剛峯寺が所有し、金剛峯寺の宗務所が様々な業務を司っています。

寺院としての金剛峯寺は、安土桃山時代の文禄2年(1593年)に創建された「青巖寺」と「興山寺」いう二つの寺院が合併したものです

。 文禄4年(1595年)には豊臣秀吉への謀反の嫌疑をかけられた豊臣秀次が、ここで切腹させられています。

現在の本殿は江戸時代末期の文久3年(1863年)に再建されました。

六時の鐘

金剛峯寺のすぐ西側の石垣の上には、「六時の鐘(ろくじのかね)」と呼ばれる鐘楼があります。

六時の鐘の写真- 高野山名所図会



元和4年(1618年)、福島正則が両親の菩提を弔うために建立しました。

現在の鐘は寛永7年(1640年)に福島正則の子、福島正利が鋳造しなおしたもので、珍しい仮名交じり文の鐘銘が入っています。

現在でも2時間毎に、時刻を知らせています。

高野山大師教会

大師教会(たいしきょうかい)は、高野山真言宗の布教活動の総本部です。

高野山大師教会の写真- 高野山名所図会



大講堂は大正14年(1925年)に建立されたもので、弘法大師を本尊としています。

大講堂の一番奥にある授戒堂では毎日7回、在家信者を対象とした「菩薩十善戒(してはならないことをまとめた十の戒め)」の儀式が行われています。

他にも、日帰り修行体験や写経などを行うことができます。

中門作業館

大師教会から道を挟んで東側には、中門作業館があります。2013年現在、再建中の壇場伽藍中門(天保14年、1843年に焼失)の作業の様子を知ることができます。 見学は無料で、浄財も受け付けています。

中門の再建は、2015年の高野山開創1200周年に合わせて完成する予定となっています。

小田原通りと高室院

金剛峯寺から高野山のへそ、千手院橋を通って奥の院へと東西にのびる道は高野山のメインストリートで、「小田原通り」と呼ばれています。

小田原通りの写真- 高野山名所図会



「小田原」の由来となっているのが、千手院橋のすぐ東にある宿坊寺院「高室院(たかむろいん)」です。

高室院の写真- 高野山名所図会



12世紀に、村上天皇の子孫である房海僧正が創建しました。その後、天河弁財天女の化現と言われた大聖僧正(高野山第9世)などの高僧を輩出しています。

安土桃山時代の天正18年(1590年)、小田原北条氏第五代・北条氏直は豊臣秀吉の小田原征伐を受けて降伏。高野山へ流罪となりました。その北条氏直が蟄居していたのが、この高室院です。

それ以降高室院は「小田原坊」とも呼ばれ、関東との関わりが深い宿坊となりました。明治時代には近隣の大乗院と発光院を吸収合併しました。その後本堂は焼失し、現在の建物は昭和59年(1984年)の再建です。

金剛三昧院

金剛三昧院(こんごうさんまいいん)は、高野山大学の南東の奥まった場所にある宿坊寺院です。

金剛三昧院の写真- 高野山名所図会



「尼将軍」と呼ばれた北条政子が、夫の源義朝と息子の源実朝の菩提を弔うために建立しました。そのため鎌倉時代は、幕府と高野山を結ぶ寺院として重要な役割を担っていました。

北条政子が建立させた多宝塔(国宝)、経蔵(重要文化財)、四所明神社(重要文化財)などの歴史的な建築物が残っています。

本尊の愛染明王(あいぜんみょうおう)は、は恋愛成就の仏として知られています。


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