二ツ鳥居から笠木峠へ(高野山町石道)


八町坂(天野の里への道)との分岐である二ツ鳥居から、上古沢駅への道と分岐する笠木峠までは、3.8キロメートル(1時間10分ほど)の尾根道です。

高野山町石道の地図- 高野山名所図会



二ツ鳥居のそばに立つ120町石は、なぜか分岐の右側、天野の里へ下る八町坂の方にあります。しかし標識にある通り、町石道は左の道です。

白蛇の岩

左側の木立の向こうに高野山の山並みを見ながら、坂を下っていくと、木製の鳥居があります。その向こう側にあるのが「白蛇の岩」で、昔、高野山の僧侶が丹生都比売神社に向かう途中、蛇を杖でつついて驚かせたところ、帰りに白い大蛇が待ち構えていたという言い伝えがあります。

神田応其池

113町石の近くには、神田応其池という池があります。安土桃山時代の僧侶で、紀州に攻めこんできた豊臣秀吉と高野山との和議を結んだ木食応其(もくじきおうご、1536-1608年)が、この近くにある神田の里のために築造した溜め池だと伝わっています。

神田の里は、その名の通り神の田(丹生都比売(にうつひめ)神社の御供田)があった里です。

ここからしばらくは右側のゴルフ場(紀伊高原カントリークラブ)に沿った道となるので、ゴルフボールが飛んでくることがあるかも知れません。

神田地蔵堂(滝口入道と横笛の悲話)

神田応其池の先にある神田地蔵堂には、本尊の子安地蔵尊と共に、空海と木食応其が祀られています。

この場所には、平家物語にまつわる伝説も残っています。平清盛の嫡子・平重盛の家臣だった滝口入道と、重盛の妹・横笛の悲恋物語です。

滝口入道(当時の名は斉藤時頼)は、平清盛が西八条殿で開催した花見の宴で、建礼門院に仕えていた横笛の舞を見て惚れてしまい、恋文を書いて告白。二人は相思相愛の仲となりました。

しかし、身分が違いすぎるため斉藤時頼の父が許さず、時頼は出家して京都・嵯峨の往生院に入り、滝口入道となります。それでも横笛が会いに来たため、滝口入道は高野山に入山。さすがの横笛も女人禁制の高野山には入れず、この地蔵堂のある場所で滝口入道を待ち続けたといいます。

江戸時代には高野山上のすぐ手前に女人堂ができましたが、平安時代は女性はこの辺りまでしか来ることができなかったのでしょう。

神田地蔵堂の下にも、きれいなトイレがあります。

二里石

108町石の奥には二里石があります。慈尊院から2里(72町)、つまり8キロメートルほど歩いたことになります。

笠木峠

やがて町石道は北東方向の下り道、やがて上り道となり、笠木峠に到着します。笠木峠からは、上古沢駅に下る舗装路があります。


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