壇場伽藍(壇上伽藍)


壇場伽藍は、右肩を金堂の仏像に向け、時計回り(右回り)で巡るのが正式な参拝です。これは右手を清浄とする(浄手)インドから伝わった礼拝で、右遶(うにょう)といいます。

なお、ギリシャ文明は仏教と同じ時計回りの文化ですが、ローマ文明とそれに続くキリスト教は反時計回り(左回り)の文化だそうです。

壇場伽藍の地図- 高野山名所図会



中門(壇場伽藍)

壇場伽藍の入り口に建っていた中門は天保14年(1843年)に焼失しましたが、2013年現在、再建の工事が行われています。

金堂(壇場伽藍)

壇場伽藍の中央に位置する金堂は、長い間高野山の総本堂でした。

現在の金堂は、昭和7年(1932年)の再建です。

登天の松と杓子の芝(壇場伽藍)

金堂の西にある松は「登天の松(とうてんのまつ)」で、平安時代の高僧が昇天したとされる場所です。

後を追って昇天した弟子が杓子を落としたことから、下に生えている芝は「杓子の芝(しゃくしのしば)」と呼ばれています。

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金堂と六角経蔵(壇場伽藍、壇上伽藍)の写真- 高野山名所図会



六角経蔵(壇場伽藍)

平安時代末期、鳥羽法皇の后だった美福門院が一切経を納めた経蔵で、荒川経蔵とも呼ばれています。

基礎のすぐ上の部分には把手がついていて、回転することができます。

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六角経蔵(壇場伽藍)の写真- 高野山名所図会



閼加井(壇場伽藍)

六角経蔵の裏に柵と門があり、標識には「閼加井門」と書かれています。

閼加井(あかい)とは、仏に供える水を汲む井戸のことです。

閼加井(壇場伽藍)の写真- 高野山名所図会



山王院(壇場伽藍)

明神社の拝殿は「山王院(さんのういん)」と呼ばれ、文禄3年(1594年)に再建された重要文化財です。

明神社(壇場伽藍)

「明神社」は、空海が高野山開創の際に勧請した丹生(にう)明神、高野明神(狩場明神)を祀っています。

社殿は文禄3年(1594年)の再建で、重要文化財に指定されています。

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明神社(壇場伽藍)の写真- 高野山名所図会



西塔(壇場伽藍)

西塔は、空海が設計し、仁和2年(886年)に弟子の真然が完成させた多宝塔です。

天保5年(1834年)に再建され、金剛界大日如来と胎蔵界四仏が安置されています。

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鐘楼(壇場伽藍)

西塔の南東には、風情のある鐘楼が建っています。

「高野四郎」と呼ばれる大きな鐘の鐘楼はこれとは別で、根本大塔の南にあります。

西塔と鐘楼(壇場伽藍)の写真- 高野山名所図会



孔雀堂(壇場伽藍)

鎌倉時代初期の正治元年(1199年)に、後鳥羽上皇が建立させたお堂です。

本尊は正治二年(1200年)に快慶が作った孔雀明王像です(霊宝館所蔵、重要文化財)。

現在の建物は昭和58年(1983年)の再建です。

准胝堂(壇場伽藍)

空海が得度の儀式を行うために造った准胝観音を祀るお堂です。

現在の准胝堂は明治16年(1883年)の再建です。

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孔雀堂と准胝堂(壇場伽藍)の写真- 高野山名所図会



御影堂(壇場伽藍)

空海の肖像(御影)があるお堂で、もともとは空海の持仏堂でした。

外陣には空海十大弟子の肖像もありますが、通常は中に入ることはできません。

逆差しの藤(壇場伽藍)

平安時代中期に高野山を再興させた定誉(祈親上人)が、ここで願掛けのために藤を逆さに植えたと伝わっています。

藤は芽を出し、その成長とともに高野山も復興しました。

三鈷の松(壇場伽藍)

空海が高野山を発見する手がかりとした三鈷杵が掛かっていたという、高野山開創の伝承にまつわる松です。

>> 御影堂・逆差しの藤・三鈷の松の詳細へ

孔雀堂と准胝堂(壇場伽藍)の写真- 高野山名所図会



根本大塔(壇場伽藍)

根本大塔は高野山のシンボルであり、日本で最初の多宝塔でした。

昭和12年(1937年)に再建された現在の塔は、48.5メートルの高さがあります。堂内は仏像や壁画によって曼荼羅が表現されています。

高野四郎(壇場伽藍)

戦国時代の天文16年(1547年)に鋳造された鐘で、日本で4番目に大きいことから「高野四郎」と呼ばれました。

毎日5回、高野山に時刻を知らせています。

>> 根本大塔・高野四郎の詳細へ

根本大塔と金堂(壇場伽藍、壇上伽藍)の写真- 高野山名所図会



愛染堂(壇場伽藍)

恋愛を司る仏、愛染明王を祀るお堂です。

本尊の愛染明王像は、武家政権と生涯戦い続けた後醍醐天皇の等身大と伝えられています。

お堂は、嘉永元年(1848年)に再建されました。

大会堂(壇場伽藍)

鳥羽法王の皇女、頌子内親王(五辻斎院)が発願し、歌人の西行が奉行を勤めて造影した「蓮華乗院」を前身とするお堂です。

高野山と激しく対立した根来寺(新義真言宗)と和解するための談義も行われました。

江戸時代末期・嘉永元年(1848年)の再建です。

三昧堂(壇場伽藍)

平安時代中期の延長7年(929年)、高野山の座主・済高(さいこう)が、「理趣三昧」という儀式のために建てたお堂です。

平安時代末期にこの場所に移築されましが、その修造をにも西行が関わったと伝えられています。

現在の建物は、江戸時代後期、文化13年(1816年)の再建です。

西行桜(壇場伽藍)

西行が三昧堂の移築・修造をする際、ここに桜を植えたと伝わっています。

現在の桜は後世に植えられたものです。

>> 愛染堂・大会堂・三昧堂・西行桜の詳細へ

大会堂、三昧堂、西行桜(壇場伽藍、壇上伽藍)の写真- 高野山名所図会



東塔(壇場伽藍)

平安時代後期の大治2年(1127年)、白河法皇の発願で創建された多宝塔です。

昭和59年(1984年)に再建されました。

智泉廟(壇場伽藍)

空海の愛弟子で、ともに唐に留学した智泉(智泉大徳、789-825年)を祀る廟です。

蛇腹路(壇場伽藍)

東塔からまっすぐ東にのびる小道は龍の腹に例えられ、「蛇腹路(じゃばらみち)」と名づけられています。

>> 東塔・智泉廟・蛇腹路の詳細へ

東塔(壇場伽藍、壇上伽藍)の写真- 高野山名所図会



不動堂(壇場伽藍)

金剛三昧院の多宝塔と並ぶ鎌倉時代の建築物であり、国宝・世界遺産です。

鎌倉時代初期に、八条院(暲子内親王)の発願で一心院谷に建立され、その後ここに移築されました。その後、鎌倉時代後期に再建されました。

平安時代末期から鎌倉時代初期の仏師・運慶(?-1224)が彫った八大童子(はちだいどうじ)の像も安置されていました。(現在は霊宝館が収蔵しています) 。

蓮池(壇場伽藍)

昭和の時代まで蓮の花が咲いていたことから「蓮池」と呼ばれています。

中央の小島には祠があり、橋がかかっています。

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蓮池(壇場伽藍、壇上伽藍)の写真- 高野山名所図会


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