愛染堂・大会堂・三昧堂・西行桜(壇場伽藍)


根本大塔の東側、少し低くなった所に3つのお堂が並んでいます。後醍醐天皇が建てた愛染堂、そして西行にゆかりの大会堂と三昧堂です。大会堂と三昧堂の間には、「西行桜」と呼ばれる桜の木もあります。

大会堂(壇場伽藍)の地図- 高野山名所図会


>

愛染堂

一番手前(西側)が愛染堂(あいぜんどう)で、本尊は恋愛を司る仏、愛染明王です。

愛染堂(壇場伽藍、壇上伽藍)の写真- 高野山名所図会



この愛染明王は、鎌倉幕府を倒して建武の新政を始めた後醍醐天皇(1288-1339年)の等身大と言われています。

後醍醐天皇は新政を始めたばかりの建武元年(1334年)に、天下泰平と朝廷の繁栄を願ってここに愛染堂を建立させました。しかしその願いはかなわず、わずか2年後、南北朝時代という朝廷にとって最悪の乱世が始まってしまいます。

現在の建物は、江戸時代末期の嘉永元年(1848年)に再建されたものです。

大会堂

愛染堂の隣にあるやや大きなお堂は、阿弥陀如来を本尊とする大会堂(だいえどう)です。

大会堂(壇場伽藍、壇上伽藍)の写真- 高野山名所図会



大会堂の前身は1175年(安元元年)、鳥羽法王の第7皇女である頌子内親王(五辻斎院)が願主となり、鳥羽法王の菩提を弔うために創建した「蓮華乗院」です。

蓮華乗院の造営にあたっては、歌人の西行が奉行となり、勧進を勤めました。西行は出家前、頌子内親王の祖父・徳大寺実能の家人であり、鳥羽法皇の北面の武士でもありました。

もとは東別所(刈萱堂の辺り)に建てられましたが、1177年(治承元年)にこの場所に移築されました。その後、高野山から分派して対立していた根来寺(新義真言宗・大伝法院方)と和解するための談義の場としても使われました。

大会堂(壇場伽藍、壇上伽藍)の写真- 高野山名所図会



現在の建物は江戸時代末期・嘉永元年(1848年)の再建で、法会の際の集会所となっています。

三昧堂

大会堂の東には、三昧堂(さんまいどう)という小さなお堂が建っています。

高野四郎(壇場伽藍、壇上伽藍)の写真- 高野山名所図会



もとは平安時代中期の延長7年(929年)、高野山の座主・済高(さいこう)が、「理趣三昧」という儀式のために建てたお堂です。

当初は総持院にありましたが、平安時代末期にこの場所に移築されました。この移築にも、隣の蓮華乗院(大会堂)の奉行だった西行が関わったと伝えられています。 現在の建物は、江戸時代後期、文化13年(1816年)の再建です。

西行桜

大会堂と三昧堂の間にある桜は「西行桜」と呼ばれています。

高野四郎(壇場伽藍、壇上伽藍)の写真- 高野山名所図会



鳥羽法皇の北面の武士だった西行は出家後、高野山に深く関わるようになりました。

ここには、西行が三昧堂の移築・修造をした際の記念に桜を植えたと伝わっています。その桜は三昧堂が再建された文化年間(江戸時代後期)に枯れてしまいましたが、後継の桜として植えられています。



>> 東塔・智泉廟・蛇腹路へ

>> 壇場伽藍(壇上伽藍)の概略へ


サイトマップ