徒歩で高野山へ

高野七口

高野山の辺りは空海以前から山岳修行の聖地でした。密教道場として開創されて以降は、貴族から武士、庶民まで様々な人が訪れました。

高野山を参詣した人々が辿ったルートは、主に7つ。1200年の歴史を刻んだ参詣道は史跡として見直され、2つの古道が世界文化遺産に登録されました。

今は、電車や車を使えば日帰りもできてしまうほど近い高野山。しかし本来は、都からの遠さこそが、山上都市・高野山を聖地たらしめてきました。そうした昔の人の距離感を感じとるには、麓から歩いてみるのが一番です。参詣道には、昔日と同じ風景があります。

高野七口 - 高野山名所図会


高野山町石道(大門口)

空海の時代から高野山の表参道だったルートで、世界遺産に登録されています。

1町(109メートル)ごとに「町石(ちょういし)」と呼ばれる道標の石柱が立っていることから、「町石道(ちょういしみち)」と呼ばれています。

鎌倉時代に建立された町石の8割(150本)がそのまま残っていて、いにしえの雰囲気が漂っています。

近くに電車が走っているので、途中で切り上げて駅に向かうこともできるルートです。

詳しくは、>> 高野山町石道 をどうぞ。

熊野古道小辺路(大滝口または熊野口)

「熊野古道」とは、修験道の聖地、熊野三山への参詣道です。高野山と同じように、熊野三山に至る参詣道もいくつかのルートがありました。

小辺路(こへち)はその中でも最も険しい道で、高野山と熊野本宮大社という、二つの聖地を結びます。

修験道は密教の影響を強く受けていますが、その中でも熊野信仰は天台密教の系統で、高野山の真言密教とは異なります。熊野信仰はまた、密教よりもさらに土着信仰との融合を進めていて、庶民に親しまれていました。

小辺路は熊野古道の中でも昔のままの道がよく保存されていて、歩く人が少ない分雰囲気に浸ることもできます。高野山町石道とともに、世界遺産に登録されています。

しかし、その全長は70kmに及び、標高1000メートル以上の山々をいくつも越えなければなりません。全てを歩くには3日から4日かかり、本格的な準備が必要になりますが、一部区間を日帰りで歩くことも可能です。

ただし、公共交通機関は不便です。

京街道、京・大阪みち、東高野街道、裏街道(不動坂口)

その名の通り、京や大阪と高野山を最短で結んでいたルートです。表参道の町石道に対し京大阪道は裏参道として位置づけられ、帰り道として使われることが多かったようです。

整備されたのは平安末期から鎌倉初期にかけて。江戸時代以降は、表参道の町石道以上に賑わっていました。参詣の帰りに羽目を外す旅人を目当てに、街道沿いには旅館や店屋(飲食店)がひしめきあっていました。

道の終点(高野山の入り口)には、「女人堂」が現存しています。高野山は明治時代まで女人禁制だったので、入り口に女性のための参籠所が設けられていました。

大和街道(黒河口・くろこぐち)

大和の国(奈良県)方面からの参詣に使われたルートです。一部は車道になっていますが、ところどころに祠や石仏が残されています。

豊臣秀吉が雷に驚き、馬で駆け下りたという言い伝えもある道です。

大峰街道(東口)

熊野と同じく修験道の聖地だった大峰山と高野山を結ぶ道です。かつて修験者で賑わっていたため、その頃の旅館跡などが残っています。

大和の国で「狩場明神」の犬に導かれた空海が、初めて高野山に入った時のルートとも言われています。

龍神街道(湯川口)

龍神温泉と高野山を結んでいた道で、南から高野山に入る場合のメインルートでした。かつては宿や茶屋がありましたが、今は静かな森の道です。

熊野街道(相の浦口)

高野槇の産地・相ノ浦地区から高野山の「龍神口」と「大滝口」の間にある「相の浦口」に向かう道ですが、昔から利用者は少なかったようです。現在は、崩落のため通行止めとなっています。


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