タリン旧市街の概要

このページでは、タリン旧市街についての概要をご説明します。 中世ドイツ風の街並みが残り、「ドイツよりもドイツらしい」と言われるタリン旧市街。優れた景観と保存状況の良さが認められ、1997年に「タリン歴史地区」としてユネスコ世界文化遺産に登録されました。 中世から近代まで「レヴァル」またはロシア語で「レーヴェリ」と呼ばれていたこの町は、ドイツ商人たちの拠点の一つでした。13世紀から16世紀までバルト海沿岸貿易を独占した都市同盟「ハンザ同盟」に加盟し、西欧とロシア(ルーシ)を結ぶ中継交易などで繁栄しました。 「タリン」に改称したのは1918年、エストニア共和国の最初の独立の時のこと。タリンとはエストニア語で「デンマーク人の城」という意味で、13世紀初頭にデンマーク王が築いた軍事拠点、トームペア城にちなんでいます。 南北1キロメートルのタリン旧市街は「ヴァナリン(Vanalinn、古城)」とも呼ばれています。かつては全長4キロメートルの城壁に囲まれ、46の見張り塔がありました(そのうち、城壁2.5キロメートルと26の見張り塔が現存)。 旧市街は、トームペア城がある「山の手」(Toompea)と、ドイツ商人たちの居館があった「下町」(All-Linn)に分かれています。

タリン旧市街の地図 - エストニア名所図会

上の地図に記したのは、旧市街の代表的な建築物です。 南西の「トームペア城」「A(アレクサンドル)・ネフスキー大聖堂」「聖マリア大聖堂(トームキリク)」のある辺りが、「山の手」または「トームペアの丘」と呼ばれる高台です。かつてはエストニア支配の拠点として、外国の貴族や官僚が住んでいました。大国に翻弄されたエストニアの歴史が凝縮されたエリアです。見晴らしのいい展望台もいくつかあります。 その東側の低地に広がる古い街並みは「下町」と呼ばれ、ハンザ同盟都市・レヴァル(タリンの旧名)だった場所です。 北端の「太っちょマルガレータの塔」から中心部の「ラエコヤ広場」にかけてのピック通り周辺に、ドイツ商人たちの商館やギルドが多く残っています。 北東部の「聖オラフ教会(オレヴィステ教会)」をはじめ、中心部の「聖霊教会」、旧市庁舎、「聖ニコラス教会(ニグリステ教会)」などは中世の高層建築で、様々な形の尖塔がタリンのスカイラインを美しく描いています。 旧市街のメインゲートだった南東の「ヴィル門」や北西の「修道院門」の付近の城壁を巡ると、旧市街を様々な角度から俯瞰することができます。 「ドミニコ修道院」やその南側にある「聖カタリーナの小径」、山の手との間にある「短い足」、北西部の「ラボラトーリウミ通り」など、中世の雰囲気がよく保存された路地も少なくありません。 予備知識がなくても充分に楽しめる町ですが、それぞれの場所の背景を事前に学んでおけば、より理解が深まって、行った時に想像力がふくらみます。 そこで、旧市街の見どころを隅々まで巡る、次のようなヴァーチャルツアーを作ってみました。 海運で栄えた町なので、船でやってきた前提で「太っちょマルガレータの塔」から下町に入り、まずはメインストリート「ピック通り」と中央広場の「ラエコヤ広場」へ。 旧市庁舎の近くにあるツーリストインフォメーション(観光案内所)に寄ってから、下町南西部の「聖ニコラス教会(ニグリステ教会)」「短い足」「デンマーク王の庭園」を経由して山の手へ。 山の手では、「台所を覗く塔(台所をのぞけの塔)」や「のっぽのヘルマンの塔」を見て要塞としてのトームペア城を把握してから、帝政ロシアの影響が残る「国会議事堂」や「アレクサンドル・ネフスキー大聖堂」、そして古代からの聖地「聖マリア大聖堂」へ。 山の手北東部の展望台で下町や新市街を望んでから、「長い足」経由で下町に下り、城壁や物見の塔がよく保存された「修道院門」「塔の広場」周辺へ。 「ラボラトーリウミ通り」を通って、かつて世界一の高さを誇った「聖オラフ教会(オレヴィステ教会)」のある「ライ通り」へ。 いったんラエコヤ広場に戻り、陸路の正面玄関だった「ヴィル門」やエストニア名物「セーターの壁」、宗教改革以前の雰囲気が残る「ドミニコ修道院」「聖カタリーナの小径(カタリーナ・ギルド)」など下町の南東部へ。 そして最後に正教会の「聖ニコライ教会」で、未だにタリン市民の3分の1を占めるロシア系の人々に思いを巡らしてから、こそこそと城壁の小さな穴をくぐってタリン新市街に向かいます。正々堂々とヴィル門から出てもいいのですが、次の新市街を北から始めるため、あえて北東部を最後にしました。

MAP
タリン旧市街