勝利寺から六本杉へ(高野山町石道)

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このページでは、高野山の表参道、高野山町石道の勝利寺から六本杉までの区間についてご案内します。 勝利寺の石段を降り、竹林や柿畑に囲まれた高野山町石道を進むと、やがて舗装がなくなり、本格的な山道になってきます。 勝利寺の石段下には駐車場ときれいなトイレがあります。この先、二ツ鳥居の先(または丹生都比売神社や上古沢駅)まで数時間の間、トイレはありません。 最初のうちは分かりにくい分岐が多いため、標識や町石に注意しながら進む必要があります。

雨引山周辺

高野山町石道は、まず紀ノ川流域を見下ろす雨引山に向かっていきます。最初は、柿畑の作業道を兼ねた道になっていて、畑に入っていく分岐も少なくありません。 ただし、ほとんどの分岐には標識がありますし、町石にも注意していれば迷いません。

175町石を過ぎたあたりから、雨引山が見えてきます。標高は477.3メートルで、善女竜王を祀っています。天長元年(824年)の干ばつで、朝廷の依頼を受けた空海が宮中で雨乞い祈願を行い、天竺から呼び寄せたとされる神です。それ以来、日照りの際には、人々が山頂で雨乞いをしたそうです。 新池橋という立派な橋に続く道路を横断し、竹林に囲まれた坂道を雨引山へと登っていきます。

やがて、少し分かりにくい分岐が現れます。右方向の「展望台」の標識が目立ちますが、左の柿畑に入っていく道が町石道です。しかし、ここはいったん右の展望台に行ってみましょう。晴れていれば、紀ノ川、橋本市街、和泉山脈、金剛山、そして高野山の山並み(奥の院近くの楊柳山や壇場伽藍近くの弁天岳など)までが見渡せます。 さっきの分岐に戻り、柿畑の中を更に登っていきます。展望が開けた道が続きます。農道をいくつか横断しながら、雨引山の北側から西側へ回っていきます。 やがて舗装がなくなり、地道が始まります。ここからは柿畑もなくなり、分岐もぐんと少なくなります。尾根伝いの本格的な山道です。

上部が破損した古い町石と新しい町石が並ぶ154町石の近くには、赤い鳥居がいくつか立っています。その奥には、「稲荷宗五郎大明神」の祠があります。江戸時代に義民として崇められた下総佐倉藩の名主、木内惣五郎が稲荷神となったものです。 木内惣五郎(佐倉惣五郎、佐倉宗吾とも)は承応2年(1653年)、佐倉藩主・堀田正信(後に大老となった堀田正俊の兄)の年貢の取り立てが厳しすぎると将軍・徳川家綱に直訴。取り調べの結果3年間の減免が行われたものの、宗五郎は直訴の罪により処刑されたと伝わっています。その後、全国の庶民から義民として慕われ、各地で神として祀られるようになりました。 すぐ先には、雨引山山頂への分岐があります。ここから10分ちょっとで行けますが、木立に遮られて展望はありません。

弘法大師像から六本杉

時々開ける展望や古い道標を見ながら木立の中の道を進んでいくと、少し広くなったスペースがあります。 道の左側に、小さな石像があります。 石仏にも見えますが、右手に三鈷杵(空海を高野山に導いたという密教法具)のような物を持っているので、おそらく弘法大師像だと思われます。 ここからしばらくは、林道のような広く平坦な尾根道が続きます。 144町石の右に並んで立つやや大きな石柱は、一里塚です。 1里は36町なので、つまり慈尊院から4kmほど歩いたことになります。(ただし、1里が36町と定められたのは江戸時代のことで、律令制の1里は5町でした) 広い道が終わり、再び狭い坂を登って行きます。 石段を登り切ると、「六本杉」と呼ばれる峠に出ます。展望台からここまでは50分ほど。古くから見事な杉林があったので、六本杉という名前がつけられたそうです。 近くには136町石があるので、慈尊院からここまでの距離は44町(約4.8キロメートル)ということになります。 六本杉では3本の分岐があり、左に鋭角に曲がると、町石道の続きです。(写真の中央。そのすぐ左に見える凹みが、これまで歩いてきた町石道です) 直進すると、丹生都比売神社のある天野の里へと下りていきます。(上の写真で、ちょうど背を向けている方向)