東塔・智泉廟・蛇腹路(壇場伽藍)
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「高野山名所図会」は、地図をメインに高野山の見どころを紹介するオンライン観光ガイドです。
このページでは、高野山の壇場伽藍にある東塔と智泉廟、蛇腹路についてご案内します。
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東塔
東塔(とうとう)は、平安時代後期の大治2年(1127年)、白河法皇の発願で創建されました。
智泉廟
東塔の北東にある小さな廟は、空海の十大弟子の一人で甥でもある智泉(智泉大徳、789-825年)を祀っています。 智泉は14歳で空海の従者となり、16歳の時に空海とともに唐に留学するなど、優秀な弟子として活躍しました。最澄から空海へのとりなしを依頼されたこともあります。 しかし天長2年(825年)、空海に先立ち、37歳で亡くなりました。
蛇腹路
東塔から金剛峯寺のほうへ、東にのびるまっすぐな小道は「蛇腹路(じゃばらみち)」と呼ばれています。
空海は東西に細長い高野山を「東西に龍の臥せるがごとく」と形容しました。「龍」の頭は壇場伽藍、尾は現在の金剛峯寺の東の蓮花院の辺りとされています。 この小道は腹の部分にあたることから、「龍の腹の小道」が転じて「蛇腹路」と名づけられました。