「不殺生戒」のパラドックス-「しろあり慰霊碑」が提示する答え-
高野山・奥の院の外れにある「しろあり慰霊碑」は、「人間生活と相容れないために駆除されたシロアリ」と、「シロアリ防除に携わってきた功労者」の双方を合祀して供養しています。 自分たちの生活を脅かす生物にどう対処するか、「不殺生戒」のパラドックスと、「しろあり慰霊碑」が提示している答えについて考えます。
しろあり慰霊碑
親鸞上人霊屋から、川沿いを南に進むと分岐があります。
この分岐の近くに、 しろあり やすらかに ねむれ との言葉が刻まれた「しろあり慰霊碑」があります。
公益社団法人日本しろあり対策協会が立てたものです。 自分たちの生活を脅かす生物にどう対処するか、というのは仏教の難題であり続けたものと思われます。仏教には「不殺生戒(ふせっしょうかい)」という戒律があるからです。
不殺生戒とは
「不殺生戒」とは、あらゆる生き物について、その生命を奪ってはいけないという戒律です。 「不偸盗戒(ふちゅうとうかい、盗んではいけない)」「不邪婬戒(夫婦以外の者と不道徳な性行為を行ってはならない)」「不妄語戒(嘘をついてはいけない)」「不飲酒戒(アルコールなど中毒性のある物質を避けなければならない)」と並び、在家信者が守るべきとされる「五戒」のひとつです。 「あらゆる生き物」がどこまでの範囲なのか、それを犯した場合にどこまでの罪になるのか、故意でなければ罪にならないのか、そもそも罪とは何なのか、罰は下るのかなど、解釈は宗派によってさまざまです。 この戒律で禁じられていることは、3種類に分類されます。「自殺」「他殺」「随喜同業」の3つです。
自分が手にかけることを戒める
最初の禁忌は自分の命を奪うという意味ではなく、「自分が手にかける」ということ。広義にとらえれば、さまざまな職業に携わる人たちが「自分や家族や他の人たちを生かすために、自分の手でなんらかの生命を摘み取っている」ということになり、この禁忌にあてはまってしまいます。 その究極の存在が軍人です。日本における武士は「来世のことや怨霊のことを考えると自分では手を下したくない」と考えた権力者たちが、代わりに禁忌を犯してくれる存在を求めた結果生まれたものでした(その代表的存在が「武士の祖」多田満仲です)。
他人に手をかけさせることを戒める
しかし実際には、その貴族たちも罪から逃れることはできませんでした。2番めの禁忌は、「他人に命じて何らかの生命を奪うこと」を意味しているからです。これも定義を広げれば、武士に暴力行為を命じた貴族たちだけでなく、農産物や漁獲物を食べているすべての人があてはまってしまいます。
不殺生戒の「随喜同業」とは
最後の「随喜同業(ずいきどうごう)」とは、他の人が行った殺生にかかわるもので、喜びの意識を持つことを意味します。 牛肉、豚肉、鶏肉や魚などを食べて「おいしい」と感じることも含まれるといいます。仏教の多くの宗派で、僧侶が肉食をしないのはこのためです。 ともあれ人間として生きる以上、特に2番めの禁忌については、完全に逃れることは不可能なのです。 「原罪」の概念があるキリスト教や、他の多くの宗教とも共通しますが、仏教にも「生きるということは罪を犯すことだ」という考え方があります。それを意識した上で、悲観的になったり投げやりにならないようにするために、何らかの解決法を考えていることも共通しています。ただ、具体的な解決法として提示されている内容が違うだけです。
武士にとっての「不殺生戒」
武士たちの多くは、自分たちの「罪」を強く意識しながら生きていました。そのことを示すのが、この高野山奥の院に、これほど多くの武将たちが集まってきたという事実です。 彼らは、境遇や状況次第では、親子や兄弟同士でも戦いあった人たちです。その宿命に悩んでいたからこそ、弥勒仏や空海や阿弥陀如来その他による救済を強く求めたのではないでしょうか。もちろん、人によって程度は異なったでしょうが・・・ もっとも、武士が政権を取った鎌倉時代~安土桃山時代には、仏教の側でも、殺生を絶対悪とは見なさないようになっていきました。「すべての人間は悪人であるが、それを自覚する者は救われる」という「悪人正機説」などを説く鎌倉仏教が広がった背景にも、こういった事情があったと見られます。
「不殺生戒」と江戸時代の職業差別
しかし江戸時代、武士自身が平安時代の貴族のような存在になると、仏教に加えて神道の「ケガレ」の意識や儒教の影響もあり、動物の殺生に関わる狩猟系の文化を受け継ぐ人たち、さらには動物の殺生を行わなくても、死んだ牛馬の処理などを行う人たちに対する差別が強化されました。「悪人正機説」を唱えていたはずの鎌倉仏教でも、戒名に「屠」など差別的な文字を入れる「差別戒名」などの差別が行われています。
「しろあり慰霊碑」が提示する選択肢
このように「殺生」やそれに関わる事柄にどう向き合うかは、時代背景によって「解」が変化する難題であり続けてきたのです。 この「しろあり慰霊碑」が示しているのは、最小限の害虫駆除は否定せず、しかしその生命を奪ったことからは目をそらさずに、害虫と人間の双方に対する救済を願う、という選択肢です。 それが難題の最終的な答えになるかどうかはともかく、いかにも高野山らしい慰霊碑です。 高野山のタブーな話-「五戒」との矛盾に向き合う聖地-