高野山・奥の院の歴史探索-高野山に眠る武将や僧侶、女性たちの物語-
「奥の院」は、高野山で最も重要な聖地の一つ。空海を祀る弘法大師御廟があり、歴史上著名な人物の墓所、供養塔が無数にあります。 奥の院の歴史的背景と、供養されている武将や僧侶、女性たちの物語を紹介します。
「高野山奥の院」について
「奥の院」は、高野山で最も重要な聖地の一つ。空海を祀る弘法大師御廟があり、さらに歴史上の人物たちの墓所、供養塔が無数にあります。 奥の院の概要や地図、参拝ルート、墓所や供養塔の位置については、以下の「Zue Maps」のページで案内しています。 奥の院とは 奥の院の地図(全域) 奥の院の地図(一の橋~中の橋) 奥の院の地図(中の橋~弘法大師御廟) コースガイド① 一の橋~平敦盛 コースガイド② 平敦盛~上杉謙信 コースガイド③ 上杉謙信~中の橋 コースガイド④ 中の橋~最上義光 コースガイド⑤ 最上義光~前田利家 コースガイド⑥ 前田利家~御廟の橋 コースガイド⑦ 御廟の橋~弘法大師御廟 コースガイド⑧ 弘法大師御廟~手水舎 コースガイド⑨ 手水舎~一の橋
奥の院の歴史
空海がその半生をかけて開いた高野山は、835年の空海入定後、後継者たちの内部抗争や火災などにより、いったん荒廃しました。 衰退しつつあった高野山が一大聖地に生まれ変わったのは、この奥の院があったおかげとも言えます。 その後の奥の院は、どういう歴史をたどってきたのでしょうか?詳細は以下のページにまとめてあります。 弘法大師伝説と「この世の終わり」空海が「救世主」を連れてくる?
「神仏習合」の発信地・高野山奥の院
奥の院には20万以上の供養塔がありますが、その手前には、神道のシンボルである「鳥居」が立っていることが少なくありません。 なぜ、仏教の聖地に鳥居があるのでしょうか?実はこのことは、かつて高野山が宗教戦争を未然に防いだことと大きな関わりがありました。 供養塔の本当の意味なぜ鳥居と五輪塔がセットに?
奥の院は「和解」の聖地?
奥の院では、仇敵同士だった武将たちの供養塔が並んでいます。上杉謙信と武田信玄、石田三成と東軍の武将たち、織田信長と明智光秀などなど…。 彼らはなぜ、この高野山奥の院では共存することができているのでしょうか? 宿敵同士が共存できる場所奥の院はなぜ、武将たちの和解の場所になったのか?宗教戦争も防いだ「神仏習合」の発信地・高野山なぜ父の仇の娘と結婚?中川秀成の「ノーサイド物語」
聖地で見る「武将の生き様」
「殺生」という業を背負った武士という存在は、どのように歴史に現れ、そして消えていったのでしょうか。仏教の聖地に立つ供養塔で考えます。 源氏の祖「多田満仲」が悪行を背負う堕天使になった訳「平敦盛 V.S. 熊谷直実」信長が愛した物語のメッセージ謎に包まれた「猛将」柴田勝家の実像とは?「小田原北条家」が「家康の天下取り」の礎を作った?「戦国最強の自由人」水野勝成の放浪譚国内の安定には対外戦争が必要?徳川頼宣の大陸派兵計画
歴史の転回点と奥の院
奥の院には、歴史を大きく動かしたことで知られる人々の供養塔もあります。しかしそれ以外にも、歴史の転回点にさまざまな立場で立ち会い、その流れに大きな影響を及ぼした人たちの供養塔がたくさんあります。 そうした「脇役」たちが果たした、知られざる歴史上の役割を見つめます。 「曾我兄弟の仇討ち」源氏将軍家を滅ぼした復讐劇の背景毛利家の「決められない政治」が歴史を回し続けた?明治維新の遠因をつくった「島津家と高野山」の関係
女性たちにとっての高野山
「女人禁制」だった時代、女性たちにとっての高野山は、今よりも更に特別な意味を持つ場所でした。 奥の院に眠る女性たちの視点に立つと、どんな歴史が浮かび上がってくるでしょうか? お江・千姫…女人禁制の地に救いを求めた悲劇の女性たち女性たちの視点から見る「天下人・豊臣」の栄枯盛衰
「仏教の敵」と奥の院
奥の院には、様々な理由により仏教を排斥したり、仏教勢力を壊滅させようと戦った人たち(またはその子孫)の墓所もあります。 そうした「仏敵」たちと、仏教の聖地・高野山奥の院との関わりを見つめます。 仏教と儒教が対立?「名君」が入らなかった池田家墓所なぜ「仏敵・信長」が弘法大師のそばに?ヒントは比叡山
高野山が育んだ宗教革命
比叡山と高野山。この二つの宗教都市は、天台宗・真言宗の中枢であるだけでなく、日本仏教の多くの宗派にとっての原点でもあります。 中世から近世にかけて、比叡山は仏教の総合大学、高野山は密教の単科大学として若きエリートたちを育みましたが、その中から他の宗派の祖となった人たちが次々と現れたのです。 奥の院には、空海の思想を批判的に継承した法然と親鸞の墓所もあります。真言密教を激しく批判した日蓮も、高野山とは深い縁がありました。 「鎌倉仏教のパイオニア」覚鑁の密教革命とその挫折高野山から巣立った「ポピュリズム革命の闘士」たち
少しタブーかもしれないお話
歴史の中には、一部の人たちからタブーとされている話もあります。また、仏教には「殺生」をめぐるパラドックスもあります。奥の院には、そのような厳しい現実が刻まれたモニュメントもあります。 なぜ庶民が残虐行為に走った?「高麗陣敵味方供養碑」の背景高野山自身も悪行を?「蛇柳供養塔」が暗示する慚愧の念「不殺生戒」のパラドックスと「しろあり慰霊碑」の答え