- 高野山の歴史探訪 -

国内の安定には対外戦争が必要?徳川頼宣の大陸派兵計画

高野山・奥の院の西側エリア、一の橋と中の橋のちょうど中間あたりに、「紀州初代藩主徳川頼宣墓所」があります。 徳川頼宣は徳川家康の10男で、高野山がある紀伊の国を支配した紀州徳川家の藩祖。生まれたタイミングが遅かったため、先輩の戦国武将たちに比べると知名度は落ちます。 しかしこの「遅れてきた戦国武将」は、家康の武将としてのDNAを最も強く受け継いだ息子です。クーデター未遂事件で失脚しなければ、東アジアの歴史を大きく変えていたかも知れない人物なのです。