即身成仏の最終段階-現世に執着した空海が行き着いた「利他」-

空海の「即身成仏」-ミイラ化して生き続けることではなかった?-から西洋哲学と密教 -スピノザ、キェルケゴール、ニーチェと空海-のページでは、即身成仏の第一段階と第二段階について、西洋哲学とも対比しながら説明しました。 即身成仏の3段階のうち、最終段階とはどのような状態なのでしょうか。 空海の言葉からひもとくと、現世に対する究極の執着心が見えてきます。 その背景には、「苦しみからの逃避」と「利他」の狭間で揺れ動き続けた仏教の歴史がありました。

「即身成仏」の最終段階へ

さて、空海の「即身成仏」にはもう一つの段階があります。第二段階での仏との一体化は、「三密」の修行によって誰もが実現できますが、それはまだ一時的なものにすぎません。これを恒久的な一体化にするのが、成仏の最終段階だといいます。しかしそれは、第二段階に比べると極めてハードルが高いものです。 どうすれば、最終段階の即身成仏を実現できるのでしょうか。第二段階をひたすら繰り返す、というのも重要ですが、それだけではないといいます。 空海自身は最終段階に至ったとのことですが、高野山に入って、それに向けた準備を始めた時の思いを伝えている言葉があります。 「虚空尽き 涅槃尽き 衆生尽きなば 我が願いも尽きなむ」 この世界がなくなり、悟りを開いた人々がいなくなり、それ以外のあらゆる人々もいなくなってしまえば、わたしの願いも尽きる。 逆に言うと、そうでない限りは永遠に願い続けるということです。何を願い続けるかは、彼の人生を振り返れば、だいたい想像できますね。 この言葉は、ある意味では「成仏」の否定、または拒否ということになります。自己研鑽を続けて、あらゆる苦しみや悩みから解放されるのが成仏だったはずです。この苦しみの世の中から卒業できれば、もう何も願う必要はありません。 しかし世界が続き、人々が生き続ける以上は、つまり「虚空」が実在し続ける以上は、彼は無限に願い続けるといいます。成仏はするが(悩みや苦しみからは解放されるが)、現世にはとどまり続けたい、生き続けたい。「利他」のためではあるとはいえ、現世と「生」に対するこの上ない執着です。 究極の煩悩を抱えながらの成仏。この矛盾に満ちた「即身成仏」の謎を追うために、もういちど時空を超えて、仏教の歩みを振り返ってみましょう。今度のキーワードは「縁起」。つまり、他者とのつながりです。

古代インドで起きた「利他」の革命

成仏の第二段階までは、「虚空」と「自己」との関わりが重要で、「他者」という概念は出てきませんでした。他者は「虚空」の一部に過ぎないか、「自己」が認識して初めて存在できるようなイメージです。 仏教には、もともとそういう方向性がありました。俗世を否定し、そこから離れて洞窟に籠もり、苦しみから逃れよう(解脱)しようという方向性です。 しかし「それでは自己中心的すぎるのではないか」という議論があり、「成仏には利他行も不可欠だ」ということになりました。しかしどのように「利他」を行うのかを巡ってはさまざまな意見があり、その結果、釈迦の入滅から約4世紀後に宗教改革運動が巻き起こります。 この宗教改革は、16世紀にヨーロッパで始まったキリスト教の宗教改革とは、ある意味では真逆の革命でした。ルターやカルヴァンの宗教改革では、長い時を経て変質してしまったキリスト教を、「聖書」を手がかりにして元に戻そう、本来のキリストの教えに立ち戻ろう、ということが強調されました。 一方、そのキリストが誕生した前後にインドで始まった仏教の宗教改革は、「お釈迦様の教えを何から何まで守ろうとすると、現実世界との乖離が大きくなるばかりだ。そんな戒律を守れる人は一握り。戒律などというものは現実に合わせて、守りやすいものに変えてしまって、より多くの人を救えるようにしよう」というものでした。つまり脱・原理主義の革命だったのです。

どんなものでも受容する?大乗仏教の「利他」

この革命が生み出した「大乗仏教」の特徴を見ると、もはや宗教とは思えないほどの柔軟性が浮かび上がってきます。宗教であれば一番大切なはずの「お祈りの対象」も、各地にもともとあった土着信仰に合わせて、人々が抵抗なくお祈りできるものに変えてしまったのです。 仏教とヘレニズム文化が融合したことで、「仏を3Dで見せて、ビジュアルでアピールする(仏像を作る)」という革新的な布教手法が生まれ、大乗仏教が世界仏教へと飛躍するきっかけがつくられたインド大陸北西部のガンダーラ。ここでは釈迦如来以外にも、多種多様な仏像が作られていました。 その中でもアイドル的な存在になったのが阿弥陀如来です。西アジアの神に由来し、もしかしたらキリスト教とも関係しているかも知れないとも言われていますが、「西方極楽浄土」に連れて行ってくれる仏として人気を集め、ついには釈迦如来よりも格上とされるまでになりました。 真言密教の本尊、大日如来は古代インドの太陽神がモデルであると考えられています。同じ太陽神系の天照大神を信仰していた日本人には受け入れやすく、実際に天照大神と習合することもありました。 宗教は、柔軟であればあるほど、多くの人をとりこむことができます(つまり救済できます)。さらに在家と出家の分断も避けられ、出家が一般社会に深く関わることが可能なため、現実面での「利他」を実践しやすくなるというメリットもありました。

分業をした方が効率的?上座部仏教の「利他」

一方、宗教としての仏教の純粋性を重んじた人々は、別の形で「利他」を実現しようとしました。スリランカ経由で東南アジアに広まった上座部仏教です。 こちらでは、出家は戒律を原点にできるだけ忠実に守ります。本尊も釈迦だけ。しかしそれによって救済されるのは出家だけではありません。在家も「出家に対するお布施」という形で功徳を積むことで救済されるとされます。つまり救済の分業システムです。 上座部仏教でも、出家と在家が分断されているわけではなく、例えばミャンマーの仏教徒は、男性であれば一生に一度は出家することが一般的ですし、毎日托鉢で僧侶に接するので、日常生活での関係性はこちらのほうが深いともいえます。ただし、功徳を積んだ効果が出てくるのは来世の話になるので、救済までには時間的?なずれがあるのです。 次のページ「利他主義」の理想と現実-仏教界はなぜ権力と結びついたのか-