- 書状でたどる戦国時代 -

宇佐美定満の不信感

「書状でたどる長尾景虎(上杉謙信)の越後統一」の17ページ目です。 「宇駿要害」に追い詰められた宇佐美定満は、「降伏」したはずの長尾政景に対しても、味方のはずの平子房長に対しても、不信感を募らせていました。


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宇佐美定満の悩み

少し時間をさかのぼらせて、「宇賀地の戦い」から1年後の魚沼郡北部の状況を見てみましょう。 当主たちが和睦交渉を進めている以上、どちらの陣営の武将たちも、守りに徹するだけで戦闘行為は控えてきました。 景虎から俎板平城の守りを命じられた庄田定賢も、和睦交渉が始まってからは引き上げています。 俎板平城に残されたのは、当主を失った多功家の遺族と家臣たち。そして上田勢に所領を占拠され、逃げ延びてきた小領主たちです。 彼らのリーダー格となったのが、歴戦の老将・宇佐美定満です。事実上は定満が城主となっており、俎板平城は府内から「宇駿要害(宇佐美駿河守の城)」と呼ばれていました。 この一年、彼らの所領のほとんどは上田長尾家に占拠されたまま。もちろん収入も入ってきません。所領の返還が和睦の条件になっていることを知っているため、交渉を破綻させるような軍事行動に出ることもできず、「年内には和睦が成立するだろう」という噂に期待をつなぐしかない状態でした。


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「味方」に対する不信感

そうした彼らの希望を打ち砕いたのは、敵の上田衆ではなく、味方であるはずの平子房長でした。 平子房長は、かつて景虎から送られた安堵状を根拠に「和睦が成立したら、多功家の旧領も含め、宇賀地は平子家が知行する。これは府内政権の決定だ」とアピールし始めたのです。 当然、「宇駿要害」では大きな動揺が広がります。 5月15日、宇佐美定満が平子房長に対して送った書状です。

おっしゃるとおり、しばらくはご無沙汰をしてきました。

年内に上田衆との和議が成立するとのことですが、これはわれわれの地域にとって重要な事柄です。あなたも和議の条件にご満足されていることと思います。その思いはわたしも同じです。

しかし聞いたところでは、政景の弟が人質として府内に行くという約束は、実行されていないようです。われわれに所領の一部を割譲するという約束もあり、その日を待ちに待っているのですが、未だに果たされていません。

非常に不満を募らせていますが、ここでわれわれが騒ぎ立てると和議の妨げになるかもしれないので、今のところは批判を控えています。

しかしこんな状況が続けば、わが同心(多功家の遺族や旧臣)も、わたしの部下たちも、これ以上戦う気概を失ってしまいます。要害も急ごしらえなものなので、何かが起きれば、守りきれる自信がありません。

多功家の本領があなたの領地になるとのご主張については、わたしの考えを使者に伝えました。

とにかく、この土地を守るためには、そちらからのご支援も必要です。もし何か悪いことが起きれば、周辺地域にも影響が及ぶことになります。そうなってから後悔されても遅いですよ。

書面では概略だけを書きましたが、詳しくは堀殿(平子家からの使者)に伝えておきました。

上越市史 上杉氏文書集「宇佐美定満書状」より意訳

この定満の書状では、平子房長に対する怒りは抑えられ、それよりも和議の破綻に備えた支援を求めるトーンが強くなっています。実際に、孤城となった「宇駿要害」にはその危機感も高まっていました。 宇佐美定満としては、長尾政景と対峙している状態で、背後の平子房長をも敵にまわすわけにはいきません。そのため、「あなたの土地を政景から守るためにも、前線の自分たちの士気を落とすような主張は取り下げ、逆に積極的な支援をしてほしい」というメッセージになったようです。 しかし同じ5月15日、同じ「宇駿要害」に逃げ込んでいた加治定次という武将からも、平子房長への書状が使者に託されています。こちらは、平子房長に対する抗議のメッセージがより強くなっています。

お手紙に書かれた通り、使者の堀殿が色々と説明をされたが、その内容はとても納得できるものではありませんでした。あなたの主張は、こちらでは通らないことを理解してください。

堀殿が話した件については、宇佐美殿からも返答があるはずです。しかし今回の件については、こちらの地域の事情を、あなたにもしっかり理解していただく必要があります。

これまでご無沙汰をしてきたこともあるので、自分がそちらに行って、直接説明をさせていただくつもりです。

上越市史 上杉氏文書集「加治定次書状」より意訳

同じ景虎陣営でも、地域の有力者・平子房長と、所領を失い追いつめられた武将たちの間で、対立感情が芽生え始めていたのです。


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宇佐美定満による再度の訴え

こうした宇佐美定満たちの訴えに対して、平子房長はどう答えたのでしょうか。 おそらく領有権の問題はいったん棚上げにしつつ、「まさか長尾政景が和議を破談にするわけがない。政景は、そうなったら自滅だと分かっているはずだ」と答え、支援要請には応じなかったと思われます。 その平子房長に対する返書として、宇佐美定満は6月5日、以下の書状を送っています。

再びお手紙をいただいたので、拝読しました。おっしゃる通り、もし和議が破談になったとしたら長尾政景は危機的な事態に陥るので、彼はいまさら破談にしたいとは考えていないでしょう。

しかし彼が、未だに和議の条件を実行していないのはどういうことでしょうか?政景は人質も出さず、所領の引き渡しもしていません。このままの状態を許す訳にはいきません。

万一和議が破談になった場合に備えて、こちらの防御を固める必要があります。我々だけで守れということであれば、それは不可能です。わたしは無力であり、(所領が返ってくる希望が失われたので)部下たちも戦意を失っているからです。

あなたが協力を惜しむならば、きっと後になって後悔されるような事態に陥ることでしょう。

報告によると、政景は既に宇賀地に対して何らかの計略を進めており、「味方しなければ焼き討ちにするぞ」という脅しもかけているようです。そこで調べたところ、(上田衆の)佐藤と重野という地侍が、下倉の周辺で工作をしていることが分かり、警戒中です。具体的な状況については、使者の今泉殿に詳しく話しました。

あなたの領地がある田河についても、狼藉がないよう警戒しています。

上越市史 上杉氏文書集「宇佐美定満書状」より意訳

宇佐美定満は、宇賀地の中でも「田河(魚沼市田川)」については平子領と認めた上で、自分たちはそこも守っているわけだから、支援をしてくれと繰り返し訴えています。 宇佐美定満が平子房長に対し、「所領を分けてくれないなら、戦意が失われ、あなたの領地も守れなくなるぞ」と遠回しに脅したようにも解釈できます。 しかし上田衆が「宇駿要害」に計略を仕掛けていたのは事実でした。