- 書状でたどる戦国時代 -

宇駿要害の炎上

「書状でたどる長尾景虎(上杉謙信)の越後統一」の18ページ目です。 長尾政景による計略を恐れていた宇佐美定満。その予感がついに的中し、宇駿要害は放火されました。


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宇駿要害の炎上

そして天文21年(1552年)6月、宇佐美定満が恐れていた事件が発生します。彼が守っていた「宇駿要害」が、何者かによって放火されたのです。 春日山城にその第一報が入ったのは、上杉憲政が平子房長に何らかの支援(経済支援?)を求めたのと同時だったようです。 6月20日、景虎政権の最高幹部・本庄実乃が平子房長に送った書状が残っています。

このたびのお手紙について、ご趣旨は十分に理解いたしました。

関東之屋形様(関東管領・上杉憲政)からのご依頼については、こちらで適切に対応するつもりです。

お披露目については、正式な書状を送っていただければ、内々に相談した上で、それに基づいた形式にいたします。

このところお祝儀が重なっているので、(関東管領も)出費がかさんでいることでしょう。

だから今回は、太刀と目録を贈るのがいいと思います。もし百疋の献上金や太刀などを用意するのが大変であれば、わたしが工面して立て替えてもいいですよ。

出陣は来月10日に予定しています。それに合わせて出陣の準備を整えるようお願いいたします。

上越市史 上杉氏文書集「本庄実乃書状」より意訳

この書状の意味ははっきりしないものの、他の書状と照らし合わせると、「お披露目」は平子から上杉憲政に対する献上品、「重なっているお祝儀」のひとつは景虎の授爵への祝儀、「出陣」は上杉憲政(実質的には越後勢)の関東出兵を意味すると判断できます。 本庄実乃は別紙でもう一通、平子房長への書状を出しています。

ところで、宇駿要害に火がつけられたと書かれていましたね。

そういう恐れがあるというお話は以前から伺っていましたが、ついに実行に移したとは。

わが味方の城に放火するなど、たとえ(政景の)奥様が(景虎の)極めて近いご親類だとしても、見過ごすわけにはいきません。

近々、殿のご裁断が下ることになるでしょう。

宇佐美殿が捕縛した放火犯は、こちらに送還するようお願いいたします。当家では今後も平子家と変わらぬ友誼を続けていきたいので、景虎がしっかりと裁定いたします。ご存知のことは何でもお伝え下さい。

(上田衆の?)金沢は色々言ってきていますが、それは信用しておりません。

また何か異変があれば、ご報告をお願いいたします。

上越市史 上杉氏文書集「本庄実乃書状」より意訳

同じ6月20日、本庄実乃と並ぶ景虎の最側近、吉江茂高も平子房長に書状を出しています。こちらは関東出兵についての事務連絡のみです。

御屋形様は来月20日ごろに出陣できそうです。後日飛脚にてお伝えするので、準備を整えるようお願いいたします。

上越市史 上杉氏文書集「吉江茂高書状」より意訳


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晩年の上杉定実が関東に遠征?

「御屋形様」が天文19年2月に死去した越後守護・上杉定実だという前提で、この書状を天文18年に比定する説もあります。その場合は「宇駿要害炎上事件」も天文18年となります。 しかし上杉定実は、天文18年には還暦は超えています。天文19年の2月に死去することから、その半年前の時点で体も相当弱っていたと思われます。彼には、健康リスクを犯して出陣すべき理由もなければ、関東に行く理由もありません。 この時期の長尾家の書状で見られる「御屋形様」と「関東之屋形様」は同じ意味であり、上杉憲政を指していると考えるのが自然です。